キャベツの苗を定植、ブロッコリーの苗を植え枝豆と春大根の種を蒔く。ベニシジミとヤマトシジミ。写真と農業

11日、精進川からの富士山です。

 

仮植えした赤キャベツに被せた不織布を取り外します。畝の左側にアメリカフウロの葉がいっぱい出ていたので取り外しました。

これがアメリカフウロです。小さな可愛らしい薄紫色の花を咲かせます。

一番大きな畑に何個も協生キットを作っていますが、8日に男性陣がそこにたくさんの赤キャベツを移植しましたが、まだまだキャベツの苗は残っています。

Yosiさんと2人で来ましたが、密になっているキャベツから取りました。赤キャベツだけでなく緑のキャベツもあります。私は自分の畝に赤を8個、緑を4個植える事にしました。Yosiさんは各3個で計6個植えます。残ったものはこの畝でそのまま育てますが、密になっている所もあるので、女性陣共有の1段目の畑にも移植するつもりです。

 

この可愛らしいピンク色の花はなんでしょう?

大きく育ったラディッシュの菜の花でした。大人の握りこぶし以上になっています。最初見た時は何かわかりませんでした。採種する為に残しています。

これで2株です。放っておくとここまで大きくなるのですね。

果樹周りに丸く畝を作って野菜の種を蒔きましたが、その中にこのラディッシュは入っています。そこには同じラディッシュの種を蒔きましたが、もうたくさん発芽しています。

スジグロシロチョウです。今までモンシロチョウもたくさん飛んでいましたが、なかなか止まってくれませんでした。私は撮る時に10cm位まで近づくので、すごい速さで飛び回るチョウを追いかけられませんでした。それが向こうから近づいてくれました。今年初のチョウです。

3月11日に直播きしたミックスレタスです。1ヶ月でまだこの大きさです。これから一気に大きくなるのでしょうか。

 

3段目の畑の自分担当の畝に、キャベツの苗を移植しました。

隣の畝に、購入したブロッコリーとスティックフェンネルの苗を植えました。

その奥には春大根と枝豆の種を蒔きました。

その下の4段目の畑を見ると、スナップエンドウに、長い大きめの竹を葉がついたまま刺していました。こうすると手間がかかる竹の支柱を組まなくても、刺すだけで竹の葉や枝にスナップエンドウのツルが絡まります。男性陣の発想だなと思いました。強風にも負けない位に自立させるには、かなり強い力で地中に刺す必要があります。女性陣では難しいかもしれません。

4段目の畑に咲くルッコラの花です。

 

ブロッコリーの花です。

綺麗ですが美味しそうでもあります。

黄色いハクサイの菜花と白いダイコンの菜花です。

 

お〜〜! 会いたかったです。ベニシジミです。1.5~2cmの大きさです。立派なお姿です。

こちらはミツバチさん。すごい回転数でホバリングしているので羽が写りません。体だけでも可愛いよ!

大根の菜花に止まりましたが、羽ばたき続けています。

 

ハルジオンに止まるベニシジミです。顔が見れて嬉しいです。

5段目の畑のカキナの菜の花です。

またベニシジミが止まっていました。色鮮やかです。本当に逃げずに撮らせてくれてありがとう。

やっと止まってくれました。ヤマトシジミです。羽を閉じた時は地味な色ですが、広げるとブルーです。10~1.5cmmの大きさです。とても小さいです。

 

スナップエンドウの花

もう実がついています。取ってかじりました、甘くて美味しかったです!

 

帰りに宝山に寄って、倉庫に不織布を片付けました。100mゾーンのアケビの花芽です。

ニワトコです。

 

100mゾーンのサルナシの新芽です。

本格的に春らしくなって来ました。花も虫もどんどん出て来ます。ゆっくり撮影したいなあ〜。特に虫さんを撮影している時は夢中になってシャッターを押しています。時間を忘れています。かっこいいな〜、ステキだね、かっわいい! ねえねえこっち向いて、お尻向けて、などと心の中で声をかけながら撮影しています。そうすると得意げな顔をしたり、お願いした通りのポーズをとってくれる時もあります。確かに繋がっているなあと感じる時間です。

私は協生農法の話よりも富士山や自然の花や虫の写真が多いと思います。自分が好きな事もありますが、皆さんが大好きな富士山の写真をお届けしたいという思いが強いです。そして生命あふれる自然の風景や花や虫さんたちを見て、やっぱり自然は良いなあと無条件に思っていだたき、自然を大切に感じていただきたいと思っています。

ちょっと私の話をします。2016年の春に原因不明の痛みに襲われました。一瞬一瞬の呼吸をするのにも激痛が走ります。息をちょっと吸っては激痛で止まり、空気が欲しくて苦しくてまたちょっと吸うと痛みで止めてしまいます。どうしたら息ができるか、そればかり考えていました。死ぬなら早く死んで楽になりたい、死なないのなら早く治って楽になりたいと思っていました。本当に楽になるのなら死んでも良いと思っていました。その当時の私を見ていた友人たちは皆んな私は死ぬと思っていたそうです。体を痛みでかがめ、すり足でゆっくり歩く姿を見ていましたし、声も小さな声でゆっくりとしか喋れませんでした。シートベルトが当たる部分が痛くてタオルを当て、20kg痩せて座ると尾てい骨が当たって痛いので、真ん中に穴が空いたクッションをお尻の下に置きました。看護師の姪は「お姉ちゃん、正直に話して、この状態はガンのステージ4やで(関西人)」と詰め寄られました。そうかもしれませんが病院には最初の1回しか行きませんでした。1年ほど経って、少し痛みがマシになった時に、生き残ったら何をしよう、と初めて身体に心が勝って未来を考える事ができました。そうすると、「写真と農業で自然の素晴らしさを伝える」という言葉が降りてきました。えっ、農業? 27歳から33歳までの6年間ほぼ自給自足の生活をしていましたし、もう農業はやらないと決めていたのに、農業? と??でした。それでもすぐに一眼レフカメラを買いましたが、重くて2年半持てませんでした。そこまで身体はガタガタでした。アバラ骨が見え歯も目も耳も悪くなり、全ての細胞が死に向かっているようでした。車の運転はアクセルもブレーキも強く踏めないので、とても燃費が良くなりガソリン代が安くなった事だけはよかったです。農業の方もすぐに探して最初は近くでやっている農道塾という有機栽培の農家さんに指導してもらいました。でもちょっと違うなと思ってネットで調べていると、ソニーの舩橋さんがブルキナファソの砂漠を緑化することに成功したという動画に出会いました。その親分を探して大塚隆(野人さん)に会いに行きました。その1ヶ月後に白光真宏会で講演をしていただき、今に至っています。野人さんと出会って同じく1ヶ月後に、白光誌で五井先生から、「・・富士聖地にはもう一つビジョンがある。ここは新しい理念に基づいた農地になる。食は人類にとって一番大切である。健康な食は世界から求められているのだ。これからはいろいろな科学者や技術者、そして植物学者や農業に従事する人たち、そうしたあらゆるジャンルの人たちが世界中から自然に集まってくる。そして、この富士聖地の周辺は大きく変わってゆく・・」というメッセージが降ろされました。その時、喜びと共に、いただき直した命ですからどうぞお使いくださいと思いましたし、私自身が生まれる前に決めてきた事だとも思いました。私は私らしいやり方で写真と協生農法で、自然を敬い感謝していきたいですし、それを皆様にお伝えしたいです。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

今日も一日ありがとうございます。

地球さんありがとうございます。